とゆふものは。

何者でもない、だから需要もない、アラフォー女の想いを綴ります。

11年

あれから11年が経ちますね。
長いようであっという間でした。
当時現地に行ったわけでもないし、東北地方には身内がいないので直接話を聞く機会がないけれど、きっと被災地の方にとっては何年経とうと区切りというものはないのだと思います。

当時の私は都内のターミナル駅近くのオフィスで働いていました。
朝どの靴を履くか悩んで結局ヒールをやめてムートンブーツにしたなとか、少し遅めのランチを食べて午後の仕事を始めた時間帯だったなとか。
あの日はごく普通のいつも通りの金曜日でした。

新しめのビルの高層階だったからか長い時間激しく揺れて立っていられず、ようやく収まったあと、お台場方面に黒煙が見えたこと。
業務を切り上げて帰れと言われたものの電車が止まっているらしい、でも帰らなきゃと思ったこと。
エレベーターが動かなかったので階段で地上まで降りたこと、その階段の壁がひび割れていたこと。
駅前のビルのガラスが割れて歩道に散らばっていたこと。
他にも同じような人が沢山いる中、家まで数時間歩いてその途中で家族に無事を知らせるメールをしたこと。
帰宅してテレビを付けて流れてきた東北の状況に息を呑んだこと、そうしている間もずっと余震が起きていたこと。
週末を挟んで月曜日に出勤したら東京の大きな駅とは思えないほど閑散としていたこと。

衝撃的な出来事だったので、今思い返してもあのときの気持ちや情景を思い出せる。覚えているものですね。

結局原発の件があってその後しばらく自宅待機になったのだけど、今のようにリモート環境が整備されているわけではなかったので本当にただ待機するしかなく、家に閉じこもってテレビを見ていると日本はどうなってしまうのか、不安で心細かったな。

あの日からの混沌とした数日間のことは今でも忘れられないし、これからも忘れないでしょう。
そういえば震災の翌年からコロナ前まで年に一度は東北に旅行に行っていた。
雪を見て温泉に入りたい、という気持ちももちろんあるけれど、無意識に東北を意識するようになったのかもしれないね。

あの日お亡くなりになられた方々のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。
世界中皆で対応すべきコロナや戦争も、ちっちゃな個人的な悩みも、彼らが生きたくても生きられなかった続きの11年を自分は生きているのだから、逃げずに向き合っていかねばとこの日ばかりは思ってしまいます。