とゆふものは。

何者でもない、だから需要もない、アラフォー女の想いを綴ります。

ハイブランドへの興味が失われつつある

初めてハイブランドの物を手にしたのは大学生の頃、ルイヴィトンの財布だった。
親からの誕生日プレゼント。
働いてもいないのにまだ早いと言われたけど、周りの友達はハイブランドの財布を持っている子が多かったのもあって、どうしてもとお願いして買ってもらったのだった。
それまで使っていたビニール製の財布と比べると重厚感があって少し大人になった気がして、財布を出す場面では気分が高まった。

20代後半から30代前半は欲しい物リストを作っていた。
アクセサリー、時計、財布やキーケースなどの小物、バッグ。
社会人になって自分の稼ぎで手に入れた物もいくつかあるけれど、リストを前に絶望的な気持ちになったこともある。
これはいくらお金があっても足りないな、と。

そしてこの数年、コロナ禍のステイホームで自分の物欲を形作っていたものがどんどん削ぎ落とされていった。
なんだか気持ちがさっぱりして、分かっちゃったんだよね。
ああ、ハイブランドの物を買って身に付けて他人に見てもらいたかったんだなと。
そして羨んで欲しかったのだと。
ずっと家で過ごす毎日なら最低限の装飾品以外は必要なかった。
本当にその「物」に価値を見出す人もいると思うけど、少なくとも自分はそうじゃなかった。

そして経験にお金を使いたいと思うようになった。
旅行とか美味しいものを食べるとか未経験の遊びとか。

アクセサリーは婚約指輪と結婚指輪、ノーブランドのピアス。
時計はスマホがあるし、財布はキャッシュレス生活に移行したこともあってカードとわずかばかりの現金が入る、これもノーブランドのミニ財布。
十分事足りる。

そんなわけでだいぶ減った欲しい物リスト。
だけど最近はコロナ禍の規制が緩くなって外出も増え、

それなりの旅館に泊まったり高いお店で食べるならいいバッグじゃないと恥ずかしいかな

とか

もっと年を取ったら大きい石のアクセサリーじゃないと映えないかな

とか

とはいえスイートテンの指輪はほしい

とか思っちゃう自分は若い頃に植え付けられた、ハイブランドこそ正義という呪縛と見栄がまだ解けきってないのかも!

そんな時にはこう考えるのです。
結局、あの世には持っていけないのよ、と。
最低限の物で十分なのよ、と。
子どもがいないから物を残して子どもに譲るルートもないしね。