とゆふものは。

何者でもない、だから需要もない、アラフォー女の想いを綴ります。

なぜ私は働くのか(裏)

前に
なぜ私は働くのか - とゆふものは。
という記事を書きました。

もちろん嘘じゃないけど、もう一つ大きな裏の理由があります。
それは母を見てきた結果、生きていく上で経済力を失いたくなかったという理由です。

寿退社からの専業主婦が当たり前の世代だった母は結婚して会社を辞め、生まれ育った都会から父の実家がある遠い土地に移住しました。
そして、

  • 義両親と同居
  • ワンオペ家事育児
  • 田舎の親戚・近所付き合い
  • 最終的に介護

というなかなか壮絶な生活が始まったのです。
いやー今の感覚なら別居もしくは離婚一択ですね、コレ。
私もその選択をすると思います。
でも、今のような情報社会でもなく、社会経験がほぼない母にはその選択肢はありませんでした。

そして言うのです。
でもね、それが女の人生ってものなのよ、と。

って、そんなことあってたまるかーい!
まあセリフだけ聞くと悲壮感溢れてますが、実際は自己陶酔というか悲劇のヒロインの私、という言い方でもありました。
父とは恋愛結婚だったし、他の生き方を知らなければそこまで悲観することでもなかったのかもしれません。
でも姑にいじめられたり、田舎の閉鎖社会に参って泣いたりしたからなあ。
やっぱり今度会ったときはもう少し母に優しくしよう。

しかしこう書いてみると自分が晩婚になった理由がとてもよく分かります。
うん、どうも結婚に幸せなイメージないわ。
当たり前のように家事育児介護をやって、経済的な豊かさもどこに住むかも夫次第、かといって世間的に働くことは許されない、それが結婚というむしろトラウマなんだわ。
そして経済力があれば結婚しなくても生きていける、と本気で思ってしまっていたんだわ。
育った環境って大事です。
東京で核家族に生まれていたらきっともっと早く結婚していたでしょう。

少子化を止めるには女性の社会進出を止めればいい、なんて極論がありますが、まあ正しいのかもしれません。
資本主義の世の中で経済力を奪われたらもう何もできないからね。
中東のとある国じゃあるまいし、仮にも先進国でございます、という顔をした日本が今さらその道は選べないでしょうけども。

働くのはしんどいし結婚を機に専業主婦になる道もなくはなかったけど職を手放すのが怖かった、そして今となっては子どももいないし、将来のことを考えるとそりゃ働いてた方がいい、と最近は思っています。