とゆふものは。

何者でもない、だから需要もない、アラフォー女の想いを綴ります。

志村けんが亡くなってしんみりしたわけ

志村けんが亡くなって1年半が経った。
間違いなく一番ショックを受けた著名人の死だったけれど、だからって今彼のことを書くのは遅きに失した感がある。分かっている。
でも落ち着いた今だからこそ書けることを拙い文章なりに残しておきたい。

志村けんと私

私にとって志村けんといえば「カトちゃんケンちゃん」で「だいじょうぶだぁ」で「バカ殿」で「ドリフ大爆笑」だ。
残念ながら全員集合世代ではない。
そんな子ども時代を経て大人になってからは彼を意識することはなくなった。

バカ殿の予告CMを流し見てまだバカ殿ってやってるんだとぼんやり思い、あの白塗りの顔に刻まれたシワにさすがに年取ったなあ、としみじみした。
気が向けばお正月の番組や夜中のコント番組にチャンネルを合わせることもあったけれど、志村どうぶつ園は見ていなかった。
つまり、私は志村けんのファンとは言えなかった。
なのに彼の訃報をニュース速報で見た瞬間の衝撃とそれに続く喪失感はものすごかった。
本当に。自分でもびっくりするくらい。

志村けんのことを考えるとき、まず小さいころから散々笑わせてもらったなと思う。
でも何よりすごいのはとっくの昔に忘れていた子ども時代の情景が次々によみがえってくることだ。

夕飯を食べるときに「だいじょうぶだぁ」を見ようとするとあまり良い顔をしなかった母。
くだらないと言う父。
子どもながらに感じる気まずい食卓の雰囲気。(でもドリフなら一緒に見てくれた。今なら当時の親の気持ちもまあ分かる。)

仕方なく祖父母の部屋のテレビを拝借して見たこと。
当時ですら珍しかったダイヤル式チャンネルのゴリゴリした感覚。石油ストーブの臭い。

運動会の練習中にクラスの明るい女の子が変なおじさんやパイのパイのパイ体操を踊る。
学校で一番怖い先生の「なにやってるんだ」という怒鳴り声。

ああと思う。
志村けんは子ども時代の記憶と密接に結びついてるな。すごいな志村けん

バカ殿がいなくなった

両親が健在だからか、なんとなくあの時代が続いているように錯覚していたけれど、もちろんそんなわけはない。
祖父は15年以上前に、祖母は昨年亡くなり、父は定年退職を迎え、両親はともにリタイア生活に入った。
そして実家を離れて早幾年の私。

それでも志村けんがバカ殿をやっている限り続くような気がしていたのに。
昔を懐かしむきっかけになるものはアニメやマンガ、おもちゃなどなど沢山あるけれど、今も変わらずに長く続いているものってなかなかないから。
彼の死にもう戻れないんだよあの頃には、と言われたような、今さらながら思い知らされたようなそんな気がする。

人生の最期までバカ殿でいてくれた志村けんには本当に感謝しかない。
明日には緊急事態宣言も解除される見込みだし、志村けんに会いに、銅像の前で写真を撮りに、東村山に行ってみようかな。