50年前のOLの話(母)
短大を卒業して会社員になり、まだ結婚の予定がなかった頃、上司の男性から『早く結婚しないと蜘蛛の巣が張っちゃうよ』とからかわれたそうな。
他人には関係ないプライベートなお話だし、表現もとてもお下品。
今ならセクハラで一発アウトだけど、学校を卒業したらお勤めせず家庭に入るのが女の幸せ、という当時の常識に沿って出た発言だったのでしょう。
にしてもクリスマスケーキどころか20歳になったかなってないかって年齢でこう言われる世の中だとそりゃ結婚しなきゃ!っていう気持ちになるね、と思う。
とはいえ、その価値観のまま生きることができた最後の世代とも言える。
20年前の女子大生の話(私)
就職は一般職コースでいい、仕事の内容は単純な事務作業でいい。
それよりいい会社に入って高いお給料を貰っている男性の妻になりたい。そのためにはいい大学に通う彼氏を社会人になる前から青田買いしておいた方がいい。
そして30歳までに結婚してないとみじめだ。
大学生の頃、よほど志がある子以外はそんな感じだったと思う。
その流れのまま、一応大卒だし正社員になるかと就職活動をして、氷河期ながらもなんとか内定が出て一応総合職で就職したのだけれど、当時は本当にふわふわ生きていて周りに迷惑を掛けたと思う。
母と同じ時代に生まれなくてよかった!と思いつつ、20代前半に寿退社してそのままずっと家庭を守っている母に片田舎で育てられた私はとても中途半端だった。
というより、何も考えてなかった。
その証拠に私のキャリアには一貫性がない。エリートではないし、一生懸命に勉強してきたわけでも何かを極めたわけでもない。
そして、気付く
それでも社会に出て20年も経つと気付く。
私の人生、私以外に責任取れないよな、と。
順番にいけば先に死んでしまう親はもちろん、長い時間を共に生きていくパートナーですら。
人生に対する責任って、働いてるから偉い、経済的に豊かな方がすごい、その生き方は正解でそれ以外の生き方は無責任、みたいな話じゃない。
大抵の場合、隣の芝生は青く見えるし、いつ何が起きるかなんて分からないから。
そうじゃなく、どんな状況でも人生の『if』や想定外に対してある選択をした時にその結果起きることも引っくるめて、自分で責任を取るつもりで生きていく、その覚悟があるか?という話なのだ。
なんだか偉そうだけど、私もこの年になってようやく朧げながらその覚悟を決めることができつつある。
遅いよね、本当はもっと早くにそういう気持ちに至るべきだった。
同志の人たちへ
どうも説教くさくなりました。
アラフォーとなり周りを見ると、誰かが私を幸せにしてくれる、と生きてきた女性が今になってうまくいかなくなると周りのせいにしたり、こんなはずじゃなかったと言うのを見たりします。
でも正直、当時の社会の空気のせいもあるよね、と思わなくもないのです。
まだ現役と呼ばれるアラフォーからアラフィフの女性たち、社会人になって10年くらい経って、稼げる女性の方がいい、共働きは必須だ、リスキリングしろ、とか急にハシゴ外された感あると思います。分かります。
最近の若い女性は快活で優秀だし、労働環境も良くなってワークライフバランスを考えながら生きているように見えるし、私もあと10年遅く生まれていればな、と思わなくもないですが・・・ でも生まれる時代は選べないので。
まだ残りそこそこある人生をたまには転んだり挫けたりしながら、へこたれる日もあって当然という気持ちで、頑張って生きていきましょう。