とゆふものは。

何者でもない、だから需要もない、アラフォー女の想いを綴ります。

おばさんになるのが怖かった

 子どもの頃からいずれおばさんになるのが怖かった。
 単純に歳を重ねて死に近づくこと、容姿が衰えることも怖かったけれど、それよりも世間の『歳を得た女性は雑に扱っていい存在』という認識と、それを当たり前とする空気感に絶望したから。
 当時の自分は言語化できてはいなかったけれど、ぼんやりといずれ自分もその対象になるのだと思い、それが何より怖かった。
 だから妻や母になることが唯一そこから逃れられる救いの道のようにも思っていた。

 フェミニストじゃないけれど、若い女子にそんなことを思わせる世の中はやっぱり正しくないし、試行錯誤しながらでも少しずつ改善されつつあるのは悪いことではないんじゃないか、と思う。

 某芸人が活動休止とのことで年明けに相応しくもないことをつらつらと書いてみました。
 90年代や00年代にそういう価値観を助長した一人でもあり、自分自身も彼らを見て育った人間なので、コンプライアンスだなんだ色々言われる時代になってももしかしたら本当にあったことかもと思わせてしまう、変わらない意識みたいなものはあるかもしれないなとふと考えてしまいました。
(芸人としての彼は好きですし今回の件は真偽不明なのでそこは言及しません、悪しからず)  

どうする?家とお墓

 跡取り娘なんだから、と言われたことがあります。
 特に家業をやってない家の跡取りとはなんぞや?と考えると、やっぱり家(土地)とお墓を守っていくことが当てはまるのかなと。
 生まれ育ったのが都会ではなく田舎なのでそこに価値を置く人がいることは理解します。
 昔の田舎は農家が多く、土地を守ることに意味があったから。

 でも父も夫も自分もサラリーマン(ウーマン)な私自身も既にそうなんだけど、これからはそこに価値を置かない人が主流になっていくと思うんだよね。

  • 子どもが仕事や結婚で海外含む他の土地に定住した
  • 子どもが結婚して姓が変わったから『〇〇家代々の墓』には入れないし墓守できない
  • 子どもが生涯子なしだった

 全てジ・エンド扱い?
 少子化で持つ子どもの数が減っている今、全て起こりうる可能性高いよね。
 跡取り娘として、生まれ育った土地を出ず職を得て、配偶者には自分の姓を選択してもらい、必ず子どもを産んで(できれば男の子)、代々〇〇家の家とお墓を守っていくための人生、やだなー。
 幸いなことに親からそんな強制はされなかったものの地元ではよく聞く話なのですが、私に子や孫がいたとしたら家やお墓に縛られずにもっと身軽に生きてほしいけど、どうなんでしょうか。

 あとそもそもなんですが、一般庶民のお墓っている?(小声)
 私は子なしなので、死んだ後は夫や両親の骨と一緒に散骨でも樹木葬でもなんでもいいから自然に還したいなと思っています。
 〇〇家の墓、とすると私と両親は姓が異なってややこしいし、その墓誰が面倒見るの、となるので墓石もいらない。
 いや、あってもいいんだけどもっとポータブル化できないもんかなーとか考えてみたり。
 『お墓は心の拠り所』という考え方自体が祖父母や親もやってたし、という慣習でしかないのでは?なんて思ってしまうわけなんだけど、これはいわゆる普通の価値観ではないのかな。(アンタ地獄に落ちるわよと言われちゃう?)

 斬新すぎるのか、それとも世代の違いで過渡期なのか、売却できる可能性がある家はともかくお墓は無碍にもできず、難しい問題です。

私が子どもを持たない理由を深掘りする(解答編)

私が子どもを持たない理由を深掘りする(考察編) - とゆふものは。
の続き。

 さて、そんな自分が子どもを産んだら?という話。

 怖かったんだよねー。
 自分と似た性格になるであろう子どもが人間関係で苦労することも、そんな苦労はさせたくないという理由で子どもに大人の理論を押し付けて理不尽なことを言ってしまうことも。
 そして何より、子どもを通して人生を追体験しなければいけないことが。

 それでも子どもが欲しい!という気持ちが勝ったり、一世代前なら産むのが当たり前という同調圧力に負けて子どもを産んでいたのかもしれない。
 だけど時代に恵まれて一人で生きるのに問題ない経済的自立があって、別に子どもいなくていいっす、という夫に出会って結婚したからそのまま子なし人生爆進中というわけだ。
 それは甘えだと、子どもを産んで追体験して過去を払拭すべきだと思う人もいるのかもしれないけど、どうしても踏ん切りがつかなかった。

人生後半の課題

 それまでに自然体で人間関係を構築できる人になっていれば違ったかも。だけど実際の私は本来の自分とは違うとずっと思いながら振る舞ってきたから、今も上手に自分を出せないでいる。
 年相応の会社員という社会的な立ち位置とのギャップが苦しい。
 大人になるって、本来の自分と表に出す自分とのギャップの折り合いをつけて振る舞えるようになることなのだと思います。(完全に双方が一致するいわゆる表裏のない人もいて、それはそれですごい)
 私はいまだそれが確立できてないお子様のままで、そしてこれが子どもがいない理由でもあるのです。

前に書いた、

私が子どもを持たない理由 - とゆふものは。

の記事だと、なぜ?がいまいち分からなかったので掘り下げたら、ずっと気付いていて見ないふりしていた自分の根本的なコンプレックスにぶち当たりました。
 アラフォーにもなって10代や20代の自分が聞いたらがっかりしそうだけどあの頃から変わらない、結局はここを変えないといけないのね、と。

 人間関係は大事。
 人生は誰と出会い喜怒哀楽の感情を分け合ってきたか、その相手を大事にしてきたかで彩られるのだと今なら思うから。
 周りの人にフラットに自分を出して大事にできること。
 これは私の人生後半の課題だなー。

 こんなしょうもない自分を肯定して、死ぬ時にあのトラウマを克服できたわーもう悔いないわー、と思いたい。
 そのためには?まあこれからできる範囲で頑張るしかないね。

アルバムにいつも裏切られていた

 思春期だった90年代、音楽に触れるにはテレビの歌番組(HEY×3、Mステ、CDTVなどなど)を見るかラジオを聴くか、あとはCDで聴くしか選択肢がありませんでした。
 CDはレンタルしてテープ(のちにMD)にダビングする、買う場合は中高生にとっては高価な買い物なのでどうしても欲しいアーティストだけ厳選する、という感じでしたね。
 ネットがない時代はどうやって発売日を知ったんだっけ、と思い返すとCD屋さんの店頭のポップアップかテレビCMを見てだったかなあ。ちょっと記憶が定かではありません。
 CD屋さん!もはやその響きすら懐かしい。定期試験が終わって解放的な気分になった日の帰り道、よく友達と立ち寄っていたなあ。
 さて、そんなふうにCDに愛着があった私でも最後にCDを買ったのはもう5年以上前になります・・・時代だねえ。

 で、何枚かシングルが発売された後にそれらの曲+専用の曲が追加されてアルバムが発売されるのが常でした。
 この辺は今もそうですよね、多分。

 心待ちにしていたアルバムを発売日当日に買ってホクホクしながら帰ってCDプレーヤーで再生してちょっと愕然とするわけです。 

 テープが擦り切れるほど聴いたシングル曲とアレンジ違うやんけー

 このがっかり感、分かりますかね。
 シングルと同じアレンジを聴きたいんだけど、ちょっと変えすぎじゃあないか?
 あの前奏とかサビ前のアクセントになっていたリズム隊のビートどこ行った?
 歌番組でもシングルと同じアレンジで歌っていたし、そちらをCDとして持っておきたいのになあ。
 両方買わせたいレーベル側の戦略だったのかもしれませんが、大抵の場合諦めてアルバムだけ聞いてましたね。枕を濡らしながら。

 なんてことをSPEEDのアルバムを聴きながら思い出したのでした。
 同世代なら分かるかもしれませんが、踊りながらちょっと際どい歌詞を歌って(歌わされて)あっという間に人気者になった彼女たちに抱いていた感情は、今思えば明らかに嫉妬でした。
 安室ちゃんやMAXはお姉さん、と素直に羨望の眼差しで見れたのですが、彼女たちへの気持ちは少し屈折してましたねえ。
 心の底では羨ましいし憧れてるし出演するTV番組は必ずチェックしてもちろんCDも購入していたのに、次のシングルはイマイチだとか後ろの二人意味あるの?とか言ってみたり。
 ただの妬み嫉みってやつです、ええ。
 今でも多くの曲を歌えるもんなあ。
 スターだったよなあ。
 あんなにキラキラしてたのになあ。
 今もまた不倫で話題ですが、これ以上いい思い出を逆の方向に上書きしないでほしいな、なんて思います。

 全然関係ないところに着地してしまった。失礼しました。

自分の人生を生き抜く覚悟

50年前のOLの話(母)

 短大を卒業して会社員になり、まだ結婚の予定がなかった頃、上司の男性から『早く結婚しないと蜘蛛の巣が張っちゃうよ』とからかわれたそうな。
 他人には関係ないプライベートなお話だし、表現もとてもお下品。
 今ならセクハラで一発アウトだけど、学校を卒業したらお勤めせず家庭に入るのが女の幸せ、という当時の常識に沿って出た発言だったのでしょう。
 にしてもクリスマスケーキどころか20歳になったかなってないかって年齢でこう言われる世の中だとそりゃ結婚しなきゃ!っていう気持ちになるね、と思う。
 とはいえ、その価値観のまま生きることができた最後の世代とも言える。

20年前の女子大生の話(私)

 就職は一般職コースでいい、仕事の内容は単純な事務作業でいい。
 それよりいい会社に入って高いお給料を貰っている男性の妻になりたい。そのためにはいい大学に通う彼氏を社会人になる前から青田買いしておいた方がいい。
 そして30歳までに結婚してないとみじめだ。
 大学生の頃、よほど志がある子以外はそんな感じだったと思う。

 その流れのまま、一応大卒だし正社員になるかと就職活動をして、氷河期ながらもなんとか内定が出て一応総合職で就職したのだけれど、当時は本当にふわふわ生きていて周りに迷惑を掛けたと思う。

 母と同じ時代に生まれなくてよかった!と思いつつ、20代前半に寿退社してそのままずっと家庭を守っている母に片田舎で育てられた私はとても中途半端だった。
 というより、何も考えてなかった。
 その証拠に私のキャリアには一貫性がない。エリートではないし、一生懸命に勉強してきたわけでも何かを極めたわけでもない。

そして、気付く

 それでも社会に出て20年も経つと気付く。
 私の人生、私以外に責任取れないよな、と。
 順番にいけば先に死んでしまう親はもちろん、長い時間を共に生きていくパートナーですら。

 人生に対する責任って、働いてるから偉い、経済的に豊かな方がすごい、その生き方は正解でそれ以外の生き方は無責任、みたいな話じゃない。
 大抵の場合、隣の芝生は青く見えるし、いつ何が起きるかなんて分からないから。
 そうじゃなく、どんな状況でも人生の『if』や想定外に対してある選択をした時にその結果起きることも引っくるめて、自分で責任を取るつもりで生きていく、その覚悟があるか?という話なのだ。

 なんだか偉そうだけど、私もこの年になってようやく朧げながらその覚悟を決めることができつつある。
 遅いよね、本当はもっと早くにそういう気持ちに至るべきだった。

同志の人たちへ

 どうも説教くさくなりました。
 アラフォーとなり周りを見ると、誰かが私を幸せにしてくれる、と生きてきた女性が今になってうまくいかなくなると周りのせいにしたり、こんなはずじゃなかったと言うのを見たりします。
 でも正直、当時の社会の空気のせいもあるよね、と思わなくもないのです。

 まだ現役と呼ばれるアラフォーからアラフィフの女性たち、社会人になって10年くらい経って、稼げる女性の方がいい、共働きは必須だ、リスキリングしろ、とか急にハシゴ外された感あると思います。分かります。
 最近の若い女性は快活で優秀だし、労働環境も良くなってワークライフバランスを考えながら生きているように見えるし、私もあと10年遅く生まれていればな、と思わなくもないですが・・・ でも生まれる時代は選べないので。

 まだ残りそこそこある人生をたまには転んだり挫けたりしながら、へこたれる日もあって当然という気持ちで、頑張って生きていきましょう。

今年は旅に出よう!

 コロナ禍で控えていた旅行。
 去年くらいから少しずつ再開させて、約2年前に記事を書いた時点(とある旅行好きのメモ - とゆふものは。)から新たに4県踏破しました。

 新幹線や飛行機に乗って目的地へ行き、
写真や映像で憧れ続けた景色をこの目で見て、
旅館やホテルに泊まって日常の雑務から解放されるひとときは最高!
 この3年間は東京近郊で泊まりがけのお出かけも増えましたが、旅したなーという気持ちにさせてくれるのはやっぱり遠出したときですね。

 そんな中、最近行って特に良かったのは愛媛県松山市
 ちょうどいい都会で、食べ物も美味しくて、海が近くて、かっこいいお城があって、何より市街地から道後温泉までの利便性が良すぎてびっくり。
 素敵な街でした。
 老後をこういうところで過ごすのもいいかもなあ・・・という妄想。

 さて、旅を再開して思ったのはそろそろペーパードライバーを卒業したいな、ということ。
 電車やバスの本数が少ないところだと意図せず待ち時間が発生したりするけど、レンタカーできればそのあたり気にせず旅行できるなと思って。
 今や事前に時刻表を調べられるけどそこまでキッチリ下調べするのも風情がないなあ、とかね。
 いやどっちやねん!というこれはただのわがままですけど。

 免許更新は必ず行い(当然ながらゴールド免許)ずっと身分証代わりにしているんだけどなかなか運転する機会がないまま20年近く経ち・・・さすがにもう恐ろしくて運転できない。
 うーむ、教習とか行けばいいんだろうか?
 自家用車を持たないアラフォー女の脱ペーパードライバーへの道のり、険しそう。

 いずれにしても残り7県。
 今年中、は無理でも来年中には全都道府県を制覇したいです。

私たちのSMAP戻ってこないかな

 いつもテレビは流し見ですが、先日の『まつもtoなかい』は本放送とTVerで2回見ました。
(以下ネタバレを含みます)

 本当に色々な感情になった1時間でした。
 SMAPはちょうど私の青春時代にブレイクしてそれから20年以上第一線で活躍してきた国民的アイドルグループ。
 毎日メンバーの誰かがテレビに出ている、そんな時代を過ごしてきた世代なもので。

 二人の照れくさそうな様子、最初はぎこちないけど段々空気を読みつつやりとりが始まっていくのが信頼関係を感じられてとても良かった。
 初めて知ることには思わず感嘆して、一番笑ったのは『死にますか?』。さすがすぎる。
 以前は毎週見てたこの空気感、テレビを見て楽しいと久しぶりに感じました。はて、なんでこれを見れなくなったんだっけ・・・?
 SMAPは脅威だった、待ってる人腐るほどいる、という松っちゃんの言葉にもグッときました。

 グループを続けるうちにメンバーそれぞれの将来像が異なってきたので違う道を選ぶことにした、それはあると思うししょうがない。
 けど、テレビには出させない、共演させない理由なんてあるの?
 解散しても数年に一度は集まってテレビに出てもいいじゃない。
 テレビで見かけなくなった芸能人は他にもいるけど、SMAPはやっぱり魅力的なエンターテイナーなので余計になぜ?と思ってしまうんだよね。
 視聴者側はSNSを通して活動を知ったりするのにテレビでは触れなかったりして、そういう力関係の裏側が透けて見えるのがテレビがつまらなくなった一因なんだよなーと思いつつ見ていました。

 私はお茶の間ファンってやつで、SMAPが解散した時だって特に騒ぐでも声を上げるでもなかったけど、それでも彼らがもう一度同じ舞台に立つ日が来たらやっぱり嬉しい。
 他にもそういう人いると思うので、ちょっと書いてみました。
 多くの世代に浅く広く愛される、というのがなかなか難しいんだよね。

 10代の頃の私は例に漏れずキムタクのファンでした。
 スーパーリップで攻めてこい、とかロングバケーションの頃。かっこよかったなー。
 彼と共演する日、来るのかな。