とゆふものは。

何者でもない、だから需要もない、アラフォー女の想いを綴ります。

あれは多分毒祖母だったのだ

ネットで調べてみるともっと酷い目に遭った人が沢山いて、私の話なんて本当に大した話じゃないのだけど、自分がすっきりするために書く。

大学生の頃、一緒に暮らしていた祖母が「軽い」毒だった。
そんな祖母に育てられた母も多分に過保護なところはあるけれどそれはまた別の話で、祖母よりはかなりましだと思う。

以下思い出すままに。

生理日を管理

小中学生じゃなく大学生である。
正直知られたくないし、来客もある居間のカレンダーに赤丸つけるのやめてほしかった。

レシートを漁られる

何気なく捨てたレシートをわざわざ拾って見られてた。どこで何をしてたのか何を買ったのか聞いてくれれば答えるのに、コソコソされて気持ち悪かった。
おかげでレシートはビリビリに破いて捨てるクセがついた。

行動を親に報告される

上のように行動を探られた挙句、今日は〇〇に行ったみたいで××時に帰ってきた、とか〇〇を××円で買ってきたみたい、とか毎日親に報告された。監視社会か。

病院で先生に勝手に説明

来なくていい、と言っても診察室までついてきて先生に病状を説明。
あんたは話が拙いから、と。
実際そうだとしてももう大学生なのでどうか一人で行かせてください。

休日くらい家にいろ

平日は出かけるんだから休日くらい家にいて家族と過ごせ。
平日は遊びじゃなくて学校なんですけど。休日はバイトしたり友人や恋人と遊ぶの禁止って無理ありませんかね。
ちなみに門限はなくてそれだけは良かった。

それ以外にも男の人がいて心配だからサークルは入るなだの、騙されるかもしれないからバイトは近所の知り合いのところでやれだの、飲み会は危ないからズボンで参加して酒は飲むなだの、事あるごとにネガティブなことばかり言い、議論しようとしても「子どもが生意気言って」と一蹴され、母に説明しても「孫に対する扱いなんてそんなものよ」と軽くあしらわれ、本当に本当に心が削られた。
大学や友人に直接連絡したり実力行使するような実害がない口だけの「軽い」毒なんだけど、当時は家に帰るのが嫌で嫌で仕方なかった。

そのあとも色々言われたけれど、もうほとんどスルーしてた。
それでも傷ついて心に残っている言葉をいくつか。

大学なんて行っても意味ない

就職が決まって報告したときの一言。
大学の学部とは全く関係ない分野の会社だった。大学で習ったことを生かして就職する人もいるだろうけどそうじゃない人も大勢いる。
親戚がやってる自営業に就職すればよかったのにとも言われた。
自分の子や私より上の孫たちには大卒がいなかったから、よく分からないけどとりあえず何か言いたくて口にしたと思われる。

学費・免許取得費用は親に返せ

親に出してもらったのならこれから働いて返さないとだめよ、と言われる。
自分の子には言ったことないのに私に言う意味が分からないし、親と私の間の話なので祖母は関係ないと思った。もちろん親は返せなんて言わなかったけれど。

給料はいくらか聞かれる

社会人になったあとの言葉。
そんなこと知ってどうする。何度も聞かれるのでもう最後は聞こえないふりしてた。

私が大人しいタイプの孫だからか他の孫には言わないのにもいらいらした。
でも分かりやすい口答えなどの反応をしない=何とも思ってない=何言ってもいいではないのだよね。

こう羅列すると、私を自分の目の届く範囲に置いて自分が理解できることだけをさせておきたかったのだと思う。
心配だから、という言葉は私のためではなく自分が安心したいだけ。
若い頃に失敗したとしても後から見たらよい経験、プラスにしかならないのにな、と思う。
祖母の中では私は幼稚園児か小学生かくらいの扱いだったんだろう。あとは自分の娘(=母)が可愛いから大人になっていく孫を娘の手の内に残してあげたい、と思ったのかもしれない。
孫の人生はどうでもいいんかい、としか思えないけれど。

祖母との関わりで唯一得られたメリットは私の選択に口出しさせないくらい自立する、と大学生のときに心に決められたことだ。
結局社会に出て自活していない状態では
「親に経済的に依存している小娘(これは事実)の、偏狭な価値観は正しくない(これはケースバイケース。今思い返しても祖母が間違っていたところもあると思う)」
と言う先入観を覆す術がなかったから。

そのおかげだけではないし胸を張れるほど立派な大人ではないけれど、今は自分の稼ぎで生活して、人生のイベントもやりたいことも行きたいところも自由に決め、好きなものを買えるようになった。
私は生き方が下手で未だに悩むことも多いし、折に触れ祖母に言われたことを思い出すのだから今もしこりとして残っているのだろうけど、その度に理不尽な過干渉をする人がいないだけで幸せだとつくづく思う。

亡くなったとき、思ったより悲しくなくてびっくりした。子どもの時は可愛がってもらったのに、自分はなんて薄情な孫だと思ったけれど、それだけ心の中に鬱屈とした想いを抱えていたのだと気付いた。
私が本当の「子ども」だった時代には保てていたバランスが、大人に近づいて自我を持ち出したら崩れてしまったのが一番悲しかった。

当時は毒親という言葉はなかったけれど、今更ながらにあれは毒祖母だったのだと思う。
本当に気持ちのままに書き殴ってしまった。
もう昔の話と思うからこうやって書くことで昇華できるといいな・・・

志村けんが亡くなってしんみりしたわけ

志村けんが亡くなって1年半が経った。
間違いなく一番ショックを受けた著名人の死だったけれど、だからって今彼のことを書くのは遅きに失した感がある。分かっている。
でも落ち着いた今だからこそ書けることを拙い文章なりに残しておきたい。

志村けんと私

私にとって志村けんといえば「カトちゃんケンちゃん」で「だいじょうぶだぁ」で「バカ殿」で「ドリフ大爆笑」だ。
残念ながら全員集合世代ではない。
そんな子ども時代を経て大人になってからは彼を意識することはなくなった。

バカ殿の予告CMを流し見てまだバカ殿ってやってるんだとぼんやり思い、あの白塗りの顔に刻まれたシワにさすがに年取ったなあ、としみじみした。
気が向けばお正月の番組や夜中のコント番組にチャンネルを合わせることもあったけれど、志村どうぶつ園は見ていなかった。
つまり、私は志村けんのファンとは言えなかった。
なのに彼の訃報をニュース速報で見た瞬間の衝撃とそれに続く喪失感はものすごかった。
本当に。自分でもびっくりするくらい。

志村けんのことを考えるとき、まず小さいころから散々笑わせてもらったなと思う。
でも何よりすごいのはとっくの昔に忘れていた子ども時代の情景が次々によみがえってくることだ。

夕飯を食べるときに「だいじょうぶだぁ」を見ようとするとあまり良い顔をしなかった母。
くだらないと言う父。
子どもながらに感じる気まずい食卓の雰囲気。(でもドリフなら一緒に見てくれた。今なら当時の親の気持ちもまあ分かる。)

仕方なく祖父母の部屋のテレビを拝借して見たこと。
当時ですら珍しかったダイヤル式チャンネルのゴリゴリした感覚。石油ストーブの臭い。

運動会の練習中にクラスの明るい女の子が変なおじさんやパイのパイのパイ体操を踊る。
学校で一番怖い先生の「なにやってるんだ」という怒鳴り声。

ああと思う。
志村けんは子ども時代の記憶と密接に結びついてるな。すごいな志村けん

バカ殿がいなくなった

両親が健在だからか、なんとなくあの時代が続いているように錯覚していたけれど、もちろんそんなわけはない。
祖父は15年以上前に、祖母は昨年亡くなり、父は定年退職を迎え、両親はともにリタイア生活に入った。
そして実家を離れて早幾年の私。

それでも志村けんがバカ殿をやっている限り続くような気がしていたのに。
昔を懐かしむきっかけになるものはアニメやマンガ、おもちゃなどなど沢山あるけれど、今も変わらずに長く続いているものってなかなかないから。
彼の死にもう戻れないんだよあの頃には、と言われたような、今さらながら思い知らされたようなそんな気がする。

人生の最期までバカ殿でいてくれた志村けんには本当に感謝しかない。
明日には緊急事態宣言も解除される見込みだし、志村けんに会いに、銅像の前で写真を撮りに、東村山に行ってみようかな。

冒険しない人生

昔、自動車教習所に通っていたときに教官に言われた言葉をふと思い出す。

「あなた冒険しない人でしょ。
運転見てるとさー分かるんだよね」

なんて答えたんだったか正確にはもう覚えていないけど、そうなんです〜と愛想笑いしたんだったかな。

あれから20年近く経つのに未だに忘れられないのは、図星だったからなのか悔しかったからなのか。

大きな冒険はしない分大きな失敗もない。
大抵の人はそんなもんじゃんと思うし、やっぱり失敗は怖いし周りからそれ見た事かと思われるのも嫌だ。

そもそも冒険とはなんだろう。
起業するとか、仕事をばつっと辞めて放浪の旅に出るとか、今さらだけど留学するとか?

うーん発想が貧相過ぎる!
目立たず安定した道を選んで小さな幸せを楽しむのが最善なタイプの人間なんだろうなー

紅茶が嫌いなんて思い込みだった

今週のお題「好きなお茶」

 

イムリーな話題だったので書いてみる。

遡ることはるか昔、小学生の頃に家庭科の調理実習でティーバッグの紅茶を飲んだ。

親もコーヒー派だったため、多分あれが人生初の紅茶。一口飲んでこれはダメだと思った。美味しくない!鼻腔を通り抜けていくお茶の匂いがどうにもだめだった。

それからずっと紅茶が苦手。

コース料理で最後に聞かれるティー or コーヒー?頑なにコーヒーを選んできた人生だった。

シンガポール旅行で行ったアフタヌーンティー、ケーキやスコーンを流し込むために飲んだ。

2年くらい前のタピオカブーム、無理くり他のティー選んでた。抹茶とか。

 

 

ところが、つい2ヶ月前のこと。

あるカレーのお店で飲んだチャイが絶品だったのだ。いつもはラッシーを頼むけれど、そのお店にはチャイしか選択肢がなかった。

真夏なのにホットしかなかったけど、ものすごい甘いけど、カレーで辛い口になっているからちょうど良かった。

そのあとはスタバでもチャイティーラテを頼んだりした。専門店ではもちろんない。おいしいけど。

そして気付いた。

え?あれ?チャイって紅茶じゃない?百歩譲って全茶をグループ分けしたら間違いなく同じグループに入るよなあ。というかチャイの方がクセが強い気さえする。

私、紅茶飲めるのかも。

という結論に至ったのがまさに先週だったのです。

 

調べてみたところ、紅茶と比べると茶葉のグレードが落ち(インドの庶民の飲み物だから?)、大量のミルクと砂糖、スパイスを入れて煮出す、と作り方が少し異なるらしい。

 

そういうわけで、まずはすぐ手に入るペットボトル「紅茶花伝」と「午後の紅茶」のミルクティーから挑戦。いやー全然いける。

 

ちなみにレモンティーは不味くはないけどあえては選ばないかなーという感じ。なので紅茶全般というより砂糖が入ったミルクティーが好きなんだと思う。

とはいえ奥深いらしい紅茶の世界、選ぶ茶葉と収穫時期によって味が全然違うと言いますし。

色々挑戦してみようと思います。飲まず嫌い、よくない。

マウンティング〜友達と縁が切れるとき〜

出会った当初、あなたにはさぞかし頼りなく見えていたことでしょう。
飛び抜けた頭のよさや美しい容姿を持つわけでもなく、コミュニケーション能力も低い私。

あれから約20年。
事あるごとに言われてきた

「ゆふらに○○ができるの?」
「ゆふらが○○できてるなんて信じられない!」

という言葉。

○○には仕事や恋愛や自立に関する言葉が入り、私はいつもなんとなくモヤモヤする。

20代で結婚、出産して家を建てたあなたは私に張り合う必要ないんですよ。
にも関わらず、アラフォーに差し掛かるような歳になっても年収について探ってきたり(「なんとか一人で生活できるくらいには給料出てるんでしょ?」)、はたまた交際中の私の恋人を貶めるようなことを言ったり。

私が唯一誇れると思われているであろうことまで否定する言い方。そんなに私に不幸でいてほしいのでしょうか?
どこまでも私を下に見たいのだとよく分かりました。

普通に生きていくのに支障ないお給料を頂いてますし、あなたには言っていませんが遅ればせながら結婚もして地味ですが楽しく暮らしています。
20年も経てば、こんな私でも多少は成長するんですよ。
けれどそれをあなたに言うことももうないでしょう。

もういいかな、と思います。
確かに楽しかった瞬間もあったので寂しいけれど、毎回会うたびにモヤモヤしていては、ただただネガティブなしんどい関係にしかなり得ないな、と思うからです。
プライドの高いあなたは私から縁を切られるなんて耐えられないかもしれないですが、いつまでもあなたが優越感を得るための友人でいるのは辛いものなのです。

あなたと私はお互いの住所も知らないし、今これを書いているスマホSNSアプリを片っ端から設定変更すればそれでおしまいです。

長い間ありがとう。
さようなら。

とある旅行好きのメモ

全国制覇を目指しています。

なんのことかというと旅行です。
国内外どちらも行くし、ブログ旅行記など見るのも大好きなのですが世界制覇するバイタリティもなく(4travelの有給使わず月一週末海外とかすごすぎる・・・!)地道に全都道府県踏破を目指しましょうという自己満足な内容です。

現時点では、

47都道府県中36都道府県
→(2023/11更新) 42都道府県

で九州と四国がまるまる未踏。
マイルールとして「宿泊を伴うこと」が条件なので日帰りはカウントしません。

ご時世でゆるゆるペースどころかほぼ旅に行けてないですが、気長に進めたいなと思います。
冬はどうしても東北に行ってしまうので、なかなか数が増えない・・・。

以下、ただの自分向け備忘録。

  • 北海道→家族と道央から道南まで。'90年代遠い記憶すぎる。また行きたい。
  • 青森→のっけ丼。ねぶた。弘前城。レストラン山崎で奇跡のりんご。
  • 岩手→中尊寺宮沢賢治。冬真っ盛りの初東北で雪国のイメージがわかずヒール履いて行って滑りまくった思い出。
  • 秋田→武家屋敷。稲庭うどん。大雪。
  • 宮城、山形、福島→近いので何度も行ってる。主に冬の温泉。
  • 東京→住んでる。
  • 茨城→ひたち海浜公園。日帰りなら水戸偕楽園
  • 埼玉→近すぎて大抵宿泊できない埼玉。緊急事態宣言の隙間をぬって近場狙いで秩父に。
  • 栃木、群馬、千葉、神奈川→観光、温泉、ディズニー。何度も行ってる。
  • 新潟→越後湯沢温泉。人生初スキー。
  • 石川→和倉温泉山代温泉兼六園。街散策も楽しそうなのでまた行きたい。
  • 福井→永平寺。日帰りなら東尋坊に立ち寄ったことも。
  • 岐阜→下呂温泉。さるぼぼは子ども心に怖かった。
  • 富山、山梨、長野、静岡、愛知→観光、温泉。何度も行ってる。
  • 京都→何度も行ってるし何度でも行きたい。
  • 大阪→お好み焼き。USJ。ほんとにみんな関西弁でなぜか感動。
  • 三重→やっぱり伊勢神宮
  • 滋賀→琵琶湖。彦根城近江牛
  • 兵庫→メリケンパーク。神戸異人館。姫路城。甲子園は一度行ってみたい。
  • 奈良→子どものころに1度だけ。大仏。奈良公園の鹿。いつも京都止まりなのでたまには行くか。
  • 和歌山→白浜。初めてちゃんとした旅館にひとりで泊まるなど。
  • 鳥取砂丘水木しげる
  • 島根→初寝台列車出雲大社足立美術館
  • 岡山→倉敷美観地区。盗み聞きした女子高生の方言かわいすぎ。
  • 広島→原爆ドームお好み焼きと生ガキと宮島のあなごめし。
  • 山口→秋吉台秋芳洞。生外郎に惚れた。
  • 沖縄→石垣島。本島は飛行機の乗り継ぎだけで未散策。また行きたい。

なお海外は17ヶ国・地域を旅してます。
初ヨーロッパは周遊5ヶ国でとてもせわしなかったので、今度周遊ツアーで行くことがあれば2ヶ国までかなと思ってます。
いつ行けるようになるんでしょうね・・・。

旅行記録アプリは海外、国内ともに以下のアプリを利用中。国内は都道府県のマップを購入して使ってます。

‎「Mark O'Travel - あなたの旅行マップ。」をApp Storeで

そうだ、ブログを書こう

なんのこだわりもポリシーもなく生きてきたアラフォー女です。

ブログを書こうと思ったのは、特に何者でもない、だからなんの需要もない自分の思いや考えをどこかに吐き出したいなと思ったから。
誰かに読んでほしいわけではなく、自分の備忘録として。

最初は書く場所としてnoteを選んだのだけど、ついカッコつけた文章になってしまいコレジャナイ感が強く、もっとあけすけに!書きたい!とはてなに逃げてきました。

知的なわけでも、文才があるわけでも、何かの役に立つ文章でもないですが、思いついたまま綴ります。